詳細解説
このダンマパダの偈は、プッバーラーマにて、スーマナ沙弥に関連して仏陀が説かれたものである。故事によれば、過去世、パドゥムッタラ仏の時代に、アナバラという若者が天眼第一になりたいと願った。彼は七日夜にわたりパドゥムッタラ仏を供養し、未来の仏陀の下で天眼を得ると誓願した。パドゥムッタラ仏は、十万劫後、釈迦仏の時代に彼が天眼第一になると予言した。その若者はアヌルッダとして生まれ変わり、釈迦族の王子で仏陀の従弟であった。出家後、アヌルッダは説法中に眠る癖があった。仏陀は彼を叱り、貝殻のようなものと例えられた。恥じたアヌルッダは七日夜、目を閉じずに精進し、失明した。仏陀は慈悲深く彼に光明の瞑想を教え、間もなく彼は天眼通を得て、全宇宙を見渡せるようになった。こうして彼は仏陀の十大弟子の中で天眼通第一となった。彼にはスーマナという若い沙弥の弟子がいた。わずか七歳であったが、スーマナは阿羅漢を証得していた。他の比丘たちは彼の悟りを知らず、よくからかって耳を引っ張った。ある時、アヌルッダは最年長の沙弥に仏陀の足を洗う水を汲むように頼んだが、断られた。全ての沙弥が断り、最後にスーマナが引き受けた。彼が水を運ぶと、仏陀は年齢を尋ねた。スーマナは七歳と答えた。仏陀は彼に具足戒を許した。他の者たちは不平を言ったが、仏陀は彼らに言われた:「比丘たちよ、若い比丘であっても、精進するならば私の教えにおいて悟りを得ることができるのである」(故事の要約終わり)。仏教において、精神的な悟りは年齢や性別によって区別されない。しかし律の面では、受戒の年次に基づいて階級がある。長く受戒しよく修行した者は自然に尊敬される。しかし戒徳を欠いていれば、年次だけで高く評価されることはない。戒徳こそ真の尺度である。外見だけで浅はかに判断すべきではない。若者でも過去世からの深い霊的力を持ち、年長の修行者を智慧と徳において凌ぐことがある。だから仏陀は、若い比丘であっても精進すれば悟りを得られると説かれた。言い換えれば、老若男女、出家在家を問わず、精進努力し、煩悩を清め、身心を転換する者であれば、誰でも道の果実を達成することができるのである。
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