詳細解説
上記の六つの法句は、ブッダが竹林精舎で説いたもので、若い雌豚の物語に関わります。ある日、釈尊はヴェーサーリの街で托鉢中、ふだん糞の山で寝転がる若い雌豚に出会いました。ブッダは微笑み、その歯から光が放たれました。アーナンダがその理由を尋ねると、ブッダは雌豚の前生について語りました。カークサンダ仏の時代、この雌豚はある禅堂近くの雌鶏でした。僧侶が禅の題目を唱えるのを注意深く聞いたことで心が定まり、王宮のウッバリ王女として生まれ変わりました。糞の中のウジ虫を観察するうちに心が静まり、初禅に入ったのです。王女としての生涯の後、ブラフマンの家に生まれましたが悪業を積み、最終的に若い雌豚として生まれました。ブッダはその様子を見て微笑まれました。他の僧侶たちは感動しました。ブッダは執着の愚かさを説き、六つの法句を語りました。
雌豚は十三回の生を経験し、動物として苦しんだり、人間として豪華に生きたりしました。ある生では宰相の妻となり、アヌラ長老によって僧侶たちに知られました。それを聞いた彼女は前生を思い出し、神通力を得ました。その後出家して比丘尼パンチャバラカとなり、阿羅漢果を証しました。自らの輪廻の物語を語り、聴衆に解脱のための正念と努力を勧めました。やがて彼女は入滅しました。
法句338は、渇愛を断つことを樹木の伐採に例えています。新しい芽が出ないようにするには、根を完全に掘り起こす必要があります。根が残っていれば、木は再び芽を出すでしょう。同様に、渇愛も根こそぎ取り除かねばなりません。小さな欲望が残っているだけでも、再び生死の苦の輪廻に生まれ変わる可能性があります。
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