(「妄愛」という)母と(「われありという慢心」である)父とをほろぼし、(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)二人の、学問を誇るバラモン王をほろぼし、第五には(「疑い」という)虎をほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。
象徴的な母と父—渇愛と慢—を滅し、二つのバラモン的極端見を克服し、第五の妨げである疑を除くことで、修行者は無憂の阿羅漢の境地へ向かう。
詳細解説
この二つの法句は、ジェータヴァナ僧院で釈迦がラクンタカ・バッディヤ尊者に関して説かれた。物語によれば、ある時、仏陀はジェータヴァナにおられ、数名の比丘たちが訪れた。礼拝の後、比丘たちは敬意をもって座った。その時、ラクンタカ・バッディヤ尊者が近くを通り過ぎた。仏陀は比丘たちの心を察し、彼を指して言われた。「見よ、あの比丘は父と母を滅し、苦しみから解放されている。」比丘たちは驚き、「仏陀よ、どういう意味ですか?」と問う。仏陀は二つの法句でその意味を説明された。それを聞いた比丘たちは阿羅漢果を得た。この法句の核心は、解脱を求める者は無明と渇愛を滅すべきであるということである。これは生死輪廻において苦を受ける原因となる。仏陀はまた、「二つのバラモンの流れを滅す」と説き、二つの外道的極端見を克服せよとされた。「常見」(不滅の魂があるとする)と「断見」(死後完全消滅)である。「王国を滅す」は十二処、すなわち六根と六境への執着を断つことを意味する。「群臣」は世俗的快楽を指す。「無憂のバラモンに向かう」とは阿羅漢果を指す。「疑の虎を滅す」は五つの心の妨げの第五である疑を除くことを意味する。特に疑は真理の悟りへの障害となる。物語は簡単に見えるが、実践は非常に難しい。
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