名称とかたちについて「わがもの」という想いが全く存在しないで、何ものも無いからとて憂えることの無い人、──かれこそ<修行僧>とよばれる。
心と身体に対して全く執着がなく、持っていないものを悲しまない者――彼こそ真に比丘と呼ばれる。
詳細解説
このダンマパダの偈は、祇園精舎にて、最初の果実を五度捧げたバラモンに関連して仏陀が説かれたものである。話によれば、農夫のバラモンは「最初の収穫を五度捧げる者」と呼ばれていた。第一に、刈り取った最初の穂を捧げ、第二に、初めて脱穀した穀粒を捧げ、第三に、桶に注いだ最初の米を捧げ、第四に、炊き上がった最初の一碗の飯を捧げ、第五に、盛り付けた最初の一匙の飯を捧げた。仏陀はこの夫婦が不還果を得られることを見て、托鉢に彼らの家を訪れた。妻は夫が自分の食事を施すのを恐れて仏陀を隠そうとした。結局仏陀は御姿を現し、夫は自分の食事の半分を施した。何が比丘を作るのかと問われて、仏陀は答えた:「比丘とは、名(心)や色(身体)に属するものに束縛されない者である。」そしてこの偈を説かれた。人々は身体と心を『我』や『我がもの』と執着するために大いに苦しむ。それらが無我であると気づくとき、恐れから解放され、真の比丘となるのである。
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