他人に食を乞うからとて、それだけでは<托鉢僧>なのではない。汚らわしい行ないをしているならば、それでは<托鉢僧>ではない。
ただ托鉢の鉢を持つだけで、比丘ではない。宗教的儀式を行なうだけでも、比丘ではないのである。

詳細解説

この二つの法句は祇園精舎で説かれ、あるバラモンにまつわる話です。「家を捨てて外道の修行者になったバラモンがいました。托鉢をしながら彼は考えました。『ゴータマ沙門は弟子たちが托鉢に行くとき「比丘」と呼ぶ。私のことも比丘と呼ぶに違いない。』彼は仏陀のところへ行き言いました。『ゴータマ沙門よ、私も托鉢によって生計を立てています。私を比丘と呼んでください。』仏陀は答えられました。『バラモンよ、托鉢するからといって比丘と呼ぶのではない。比丘の外面的な形式をすべて行なっても、なお比丘ではない。ただ五蘊をあるがままに見て知り、それに応じて実践する者こそ、真の比丘である。』その機会に仏陀はこの法句を説かれました。」(法句経物語集第三巻、圓照、94頁より引用)

🌿

禅AIアシスタント

オンライン

ようこそ。私はあなたの禅AI伴走者です。第 266 偈についての深い考察をお手伝いします。質問はありますか?それともその意味をさらに探求したいですか?