情欲にひとしい火は存在しない。不利な骰(サイ)の目を投げたとしても、怒りにひとしい不運は存在しない。迷妄にひとしい網は存在しない。妄執にひとしい河は存在しない。
貪欲に等しい火はなく、怒りに等しい執着はなく、無明(愚かさ)に等しい網はなく、渇愛に等しい河はない。

詳細解説

ブッダは祇園精舎にて、説法を聞きに来た5人の信徒にまつわる出来事からこの法句を説かれました。ブッダは公平に法を説かれましたが、話を聞いていたのは1人だけで、他の4人は過去世の習慣(蛇、虫、占星術師、猿)に引きずられ、眠ったり地面をいじったりして集中できませんでした。ただ一人、かつてバラモンとしてヴェーダを読誦していた経験を持つ者だけが、法を理解することができました。ブッダは、これら「貪・瞋・痴(むさぼり・怒り・愚かさ)」がいかに真理を理解する妨げとなるかを説かれました。貪欲は燃え盛る火のようにすべてを焼き尽くし、怒りは人を縛り付け、愚かさは網のように心を捉え、渇愛は人を押し流す川のようなものです。この教えは、過去世から続く根深い習慣や煩悩がいかに真理を覆い隠すかを示し、精神的な知恵を得るためには心の清浄化が不可欠であることを強調しています。

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