「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。
「自分には報いは来ないだろう」と言って、悪を軽く見てはならない。水滴が落ちて水瓶を満たすように、愚か者は少しずつ悪を集め、自らを悪で満たすのである。
詳細解説
ブッダは、些細なことを軽視せず、常に警戒するよう教えています。人々はしばしば大きな結果にばかり目を向け、それを構成する小さな要素を無視します。巨大な砂山も、無数の小さな砂粒からできています。井戸は、目に見えない地下からの微量な湧き水で満たされます。同様に、巨大な悪は一夜にして現れるわけではありません。それは、一見些細に見える小さな残酷さや悪意から始まります。例えば、小さな昆虫を傷つける子供は、次第に残酷な習慣を身につけ、やがて深刻な暴力へと至るかもしれません。ブッダは、水滴が少しずつ水瓶を満たす例えを用いて、愚か者が小さな悪行を蓄積することで悪に染まっていく様子を示しています。「この程度の小さな罪なら影響はない」と考えてはなりません。きつい言葉や些細な悪い習慣も、放置すれば破滅的な依存症や人生の崩壊に発展する可能性があります。愚か者が根本的な原因を無視し、生じた苦しみだけを直そうとするのに対し、賢者は因果の法則を理解しています。賢者は否定的な考えを初期段階で断ち切り、苦痛という結果を生む前にその原因を消滅させるのです。
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