このことをはっきりと知って、つとめはげみを能く知る人々は、つとめはげみを喜び、聖者たちの境地をたのしむ。
不放逸の素晴らしさをはっきりと理解し、賢者はそれを喜び、聖者たちの境地を楽しむ。

詳細解説

仏陀は、私たちに智慧ある人となるよう努めなさいと勧められた。智慧のある人とは、生き方を知っている人である。生き方を知っている人とは、放逸に流されない人である。その人は方向性を持ち、理想を持って生きる。欲望の奴隷となって生きることはない。戒律に守られ、清らかに保たれた生活を送る。戒律を厳格に守る人は、常に正念の中に生きている人である。その人は自分自身を見失わない。自分が誰であり、いま何をしているのかを、いつもはっきりと知っている。その人は、一瞬一瞬を巧みに目覚めて生きることを知っている。歩くときには、自分が歩いていることを知る。行うときには、自分が行っていることを知る。ただ一つの「知る」という明晰なはたらきが、あらゆる行いの中にあれば、その人こそ智慧ある人である。これは、無智で放逸な人とはまったく反対の姿である。そこに、解脱した人の姿がある。その人は人生と向き合って生きているが、心はいつも澄みきっている。欲望に操られる奴隷とはならない。仏陀は、このような人をすでに「聖なる」境地に達した者であると説かれた。このように、聖者と凡夫の違いは、迷いと悟りの違いにすぎない。迷えば凡夫であり、悟れば聖者である。迷いも悟りも、同じ人間の内にある。ただ異なるのは、一方は放逸に陥らず、常に目覚めて生きる人であり、もう一方は欲望に従って放逸に生きる人である、という点だけである。

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